カントを読む 3(判断力批判)

(1)
 『判断力批判』(坂田徳男訳、河出書房新社、1965年)を読みながら、なぜカントはこの本を書いたのだろうと考えた。『純粋理性批判』を書くときにその予定を立てていなかったのは確かである。
 カントが追及するのは人間を人間たらしめているもの、動物とは区別される人間の特質であるようだ。『純粋理性批判』では論理的認識、『実践理性批判』では道徳行為を取り上げた。
 私たちの生活を考えてみると、活動のほとんどは生存の維持と生殖のためになされている(以下「生殖」は「生存の維持」に含める)。飲食やサービスの取得、家族や集団の維持、自然環境の改変など。むろん、その一部は仕事をしてカネを稼ぎそれを使って商品を買うといういわば間接的なやり方でなされる。社交や娯楽も広い意味では生存の維持のために役立つものだろう。人間のやり方は洗練されてはいるが、そのような活動は動物との間に本質的な差はないといえる(論理的認識や道徳にしても同じであると主張することさえできよう)。
 ところで、生存の維持には直接関係ないようであり、それゆえ動物には見られない(と思われる)活動として、鑑賞と信仰があげられる。カントはそれらもカバーしたかったに違いない。ところが、それらは自然認識と深く関わっていて、理論理性や実践理性の拡張では扱うのが難しかった。理論理性は記号的な事象を扱い、実践理性は行為の道徳性を扱っていて、範囲が限られてしまっているからだ。カントは別の機能として判断力ということを持ち出して来た。
 鑑賞について見てみよう。鑑賞はそれ自身で自足しており、ときには生存の維持のための活動と衝突したり無関係に重なったりする。例えば、建築において美的な観点からの設計は使いやすさを犠牲にすることがある。逆に、純粋に機能を追求した形態(典型的には製造機械とか戦闘用具)に美を感じる。そういう領域はカントにとっても無視できない。カントが美的判断を取り上げたのは、理論理性と実践理性の二分法を、より一般的な真善美ないしは知情意の三分法に適応させたかったのではないか。そのためには、論理的認識と道徳の他に感性的な要素を主要な柱の一つとして付け加える必要があった。
 感性を認識機能として理論理性の専用にしてしまったのはカントに大きな制約となった。外界は感性を通じて(のみ)認識されるから感性的と形容されることになるのだが、それには自然としての身体も含まれ、当然、感覚的刺激や欲望や感情なども含まれる。それらの心的作用をカントは傾向性と呼ぶのだが、道徳的存在である実践理性にとっては排除すべき夾雑物に過ぎない。
 ともあれ、感性は、認識の手段という道具性と、物自体という不可知性に分裂して、「感じる」という主体性を失ったままなのである。カントは「感性的なものとしての自然概念の領域と超感性的なものとしての自由概念の領域との間には巨大な深淵が作られている。」(155ページ)と言う。その二つに架橋するために判断力が持ち出されるのである。本来ならもう一つの理性批判を書くべきだったのだろうが、理性という言葉にこれ以上の負荷をかけられないので、判断力批判となった。認識(真・知)、実践(善・意)、判断(美・情)の関係は次のように定式化されている(173ページ)。

指標:①心情の全能力②認識能力③先天的原理④原理が適用されるもの
A「認識」①認識能力②悟性③合法則性④自然
B「実践」①欲求能力②理性③究極目的④自由
C「判断」①快と不快の感情②判断力③合目的性 ④芸術

 理論理性は影が薄くなり(悟性に吸収され)、理性という呼称は実践理性の占有となっている。

(2)
 ところで、ここでの感情とは快・不快であり、喜怒哀楽などにはカントは興味がなさそうである。動物的・身体的・感性的な感情(動物に喜怒哀楽があるのかは不明だが)は傾向的なものとして行為の動機となることができるので、実践に関わるものである。判断力の関わる感情はいわば自己目的的である(他の何かの役に立つのではない)ので動機には寄与しない。
 判断力は感情を感じているのではない。快という感情を計測目盛として評価(判断)に使っているに過ぎないのである。では感情を感じているのは何なのだろうか。カントは「心情諸力の戯れのうちのあの調和がただ感覚せられえさえするかぎり、これを情感すること(内的感官によって)」(194ページ)と言っているのだが、さっぱり分からない。
 また、判断力は外界の認識に感覚を使うことはしない。対象は感覚によって悟性に、意図によって理性に、形式によって構想力に認識される。判断力は構想力の表出によって得た外界のデータを、悟性や理性と相互作用させ、そこで感じる感情(快・不快)によってそのデータを評価する。すなわち美による感情(快)とは、「交互の調和によって生気づけられた両心情力(構想力と悟性)の軽快な活動のうちに成り立つ効果が感覚される」(187ページ)ものとされ、崇高なものの感情は「構想力と理性が両者の葛藤をとおして心情諸力の主観的合目的性を生じる」(217-8ページ)ときに「呼び起こされる快なのである」(217ページ)とされている。カントによるまとめのような箇所を引用しておこう。

「美しいものも崇高なものも、いずれも、そのもの自身として満足を与える点では一致している。さらに両者の前提するところが、感官判断でもなく、論理的・規定的な判断でもなくて、反省的判断であること、したがってその満足は、快適なものの感覚のように、感覚に依存するのでもなく、善いものについての満足のように、規定された概念に依存するものでもないが、しかしなお概念――その概念が何であるかは未規定的としても――にかかわり、したがってその満足は、単なる表出、あるいは表出の能力に結びつき、これによって表出の能力である構想力が所与の直観に際し、概念の能力である悟性ないしは理性を促進するものとして、それらと調和した状態において考えられること、においても一致している。したがってこの両種の判断は単称判断であり、しかもその要求は単に快の感情におかれ、対象の認識におかれるものでないにもかかわらず、あらゆる主観に関して普遍妥当的な判断の形で現れるのである。」(206ページ)

 カントの言うように、美的判断力(のようなもの)が単独で美に関わっているのではないのだろう。例えば、男性が女性の顔や体を美しいと感じるとき、そこには性的な要素が絡んでいる。進化心理学によれば、男性が女性の体のある特徴に魅力を感じるのは、そのような特徴がその女性が健康でありかつ受胎可能であることを意味しているからであるということらしい。性的魅力と美を同一視できないが、まったく別のものとも言えないだろう。意識においては単に美しいと感じているだけで、性的な意味合いは無意識的かもしれないのだ。生殖を動機づけるのであれば美は手段的であるが、その場合でも美という判断は自己目的的でもありうるのではないか。ただし、そのときの美的判断の構想力は、悟性とではなく、傾向的なものと絡むことになる。実践における傾向性の影響を否定的に見るカントには思いもよらぬであろうが。
 カントは以前の著書との整合性に腐心していて、「感じる」ことの多様さについては興味がないようである。これでは審美的な対象が大幅に絞られてしまう。いわばきれいごとになってしまう。
 カントは芸術の放恣さを嫌って、自然美を好む人が同時に道徳者であるなどと言っている。カントの保守ぶりは彼の美的センスを疑わせる。ここで述べられている美学は凡庸であり、美の本質を捕え損なっているとしか思えない。詭弁とまで言わなくとも駄弁としか思えない。要するに、つまらないのである。

(3)
 『判断力批判』の第二部は「目的論的判断力の批判」になっていて、第一部の「美的判断力の批判」とは独立している。カントの叙述を追おうとしてみるのだが、例のごとく次々に繰り出される言葉に戸惑い、気力がくじける。カントもそのことを承知していたのか、『実践理性批判』で「わたくしはこの書に関しては、新しい言葉をとりいれるという非難を少しも気にかけない。というのは、この場合その認識方法がおのずからわかりやすくなっていくからである。」(14ページ)と弁解している。
 とはいえ、『判断力批判』は目的論的判断力になると俄然面白くなるのである。カントは可想界(超感性界)に目的が存在するように、感性界(自然界)にも目的のようなものを見出すことはできないかと考えた。そうすれば、道徳(実践)と自然の間に何らかの結びつきを示すことができるであろうから。
 生物の形態と機能の巧妙さは、単に自然的な因果の関係から成立したとは信じられず、神のような存在によって目的に沿って作られたと考えたくなる。実際、神を信じる側はそういう視点から進化論を攻撃している。カントは、有機物が目的論的に見えるのはそういう風に見ないと理解できないように人間はなっているのだ、と言う。このカントの主張は進化論と奇妙に共鳴するのだ。進化論も、あたかも遺伝子がそう望んだかのように説明するのが理解しやすいとその便宜性を強調していて、例えばカントの次の文章をそのまま適用できそうだ。

「それゆえ、目的原因にしたがっての、諸事物のこれほども明白な結合に対して、自然機構とは区別された因果性、すなわち目的にしたがって働く(叡知的)世界原因の因果性が考えられねばならぬ、というのは反省的判断力に対してはまったく正しい原則である。たとえ規定的判断力に対しては、いかにも軽率で、証明のできない原則であるとしても。前者においてはこの原則は判断力の単なる格率なのであり、その場合そうした因果性の概念は単なる理念であって、これに対してわれわれは決して実在性を容認しようと企てるのでなく、かえってこれを反省のための導きの糸として使用するに過ぎないのである。」(319ページ)

 さらに、「付録 目的論的判断力の方法論」では本当に進化論的考察がでてくるのだ。

「諸々の形態が、その著しい差異にもかかわらず、なおもある共通の原型に一致して産出されたもののように見えるかぎり、こうした諸々の形態間の類似は、その間に、ある共通の始源母胎から産出されたことに基づく真の血族類縁性が存するのではないか、という推測を強めるのである。」(344ページ)

「有機体の類に属する一定の個体が偶然にこうむる変化について考えても、そのように変化した性質が遺伝せられ、生殖力へ受容されることが知られるならば、こうした変異は、種の維持を目指して種のうちに根源的に存在している合目的的素質が機会を得て展開されたものとされる他、適当な判定の途はない。」(345ページ)

「後者にしたがえば、至高の原因は、その賢知による最初の生産物へ素質だけを賦与し、有機体はその素質によって自己と等しいものを産出し、種は不断に自己を維持するのであって、また個体の損失は、同時に個体の破壊をも目指して働いている自然自身によって不断に補われることとなるであろう。」(347ページ)

 『種の起源』が出版されたのは1859年、『判断力批判』は1790年である。だが、カントを進化論の先駆者と見るのは早計だろう。進化論的な考え方はダーウィン以前から広まっていて、ダーウィンのための素地を作っていたはずだ。カントに驚くのは、ダーウィンでさえ思いつかなかった遺伝子の機能を思わせるような記述があることだ。先験的なものと経験的なものの両立というアイデアを持ち続けたカントは、自身が気づかないままにはるか遠くまでその手を伸ばしていたようである。

(4)
 最後にカントは神の問題を取り上げる。この部分は神議論(弁神論)の議論にそっくりである。神義論とは、現実世界の悪の存在が、神の全能性および完全な善性との矛盾を示しているのではないかという疑問に応えようとするものである。このような問題意識は昔からあったのだから、カントが取り上げているのに不思議はない。
 カントは普通の神議論とは逆方向から考える。善(道徳)と幸福は一致すべきであるのに、現実には善の行為は幸福をもたらすとは限らず、悪の行為が罰せられるとは限らない。カントによれば、善は先験的な理念であって必然的であるが、幸福は経験的な事象であるから偶然的である。経験においては必然性は保証されていない。経験に理念のような必然性を求める人間は神という存在を必要とした。そういう意味で神は必然であるが、その存在は経験的に確かめられることではない。
 つまり、現世における善の欠如は神の存在を脅かすのではなく、かえって人間に神を想定せざるをえなくさせているというのである。これはいかにも実用論的な神の必然論である。カントは自然が何か目的を持って造られたように見えることは認めるのだが、神のようなものによって造られたとはみなさない。そのような超感性的な存在を経験的に認識することは人間に不可能でもあるからだが、また、現世(自然)における道徳と幸福の齟齬を説明しなければならなくなるからでもある。

「これに反し、根源存在者の概念が単に理論的な途において(すなわちこの存在者を自然の単なる原因と見て)規定的に見出されうるとしても、そうであっては、後に、妥当な証明によって道徳律による因果性をこの存在者に帰することに多大の困難がともなうであろうし、何ものかを恣意によって挿入することなしにはおそらくそのことは不可能ですらあるだろう。」(397ページ)

 カントはそのような「自然目的論」に対して、自分の「道徳目的論」は「全知、全能、遍在等々のような自然的属性が少しも要求されるのではな(い)」(397ページ)から、神議論の困難さを回避できると言っている。つまり、人間の道徳的進化という観点からならば、自然の目的を矛盾なく理解できる可能性がある。しかし、カントのような神の概念が信仰を支えてくれるのかは疑問であろう。カントが現代に生きていたのであれば、むしろドーキンスのようであったような気がする。
 ところで、カントは「世界における究極目的(道徳律の遵守と調和する理性的存在者の幸福――世界の最高善としての)」(371ページ)と言っているが、なぜそれが究極目的になるのかを明確にさせているのだろうか。このようなカントの議論は私には不満である。道徳に幸福が伴わなければならないというような考えは、カントの道徳論の特性を失わせてしまうのではないか。確かに『実践理性批判』でも同じようなことを言っているが、少なくとも『道徳形而上学原論』ではそのような論調は表には出ていない。むしろ道徳と幸福は関係ないとカントは言うべきではなかったか。人間はそれほど強くはないと考えていたのであれば、カントは人間を、そして彼自身の道徳論をも見くびっていたのである。